| ホジスンの逸話で、最も有名なものの一つに、奇術師フーディニとの対決のエピソードがあります。このエピソードでは、大抵ホジスンが悪役として語られますが、実際はどうだったのでしょう。
フーディニの伝記、『フーディーニ!!!』(ケネス・シルバーマン著/高井宏子・庄司宏子・大田原眞澄・共訳/アスペクト刊)に詳しくそのときの様子が描かれています。以下に引用してみます。(この情報は、kaneさんに頂きました。ありがとうございました)
・・・イギリスではあと二つ、大喝采を呼ぶことになった脱出があった。一つはその残酷さゆえに、もう]つは複雑さゆえに大きな注目を浴びた。フーディー二をほとんど殺しかけたのは、人口12万のブラックバーンという街での脱出だった。綿工業の主要中心地で、製糸業用のトロッコがいたるところにあり、製造工場の煙突が立ち並ぶ街だった。1920年10月24日、フーディー二はそこのパレス劇場に出演した。その劇場は古典様式、ムーア様式、オランダ様式とその他の建築様式をごた混ぜにした建物だった。各地で、フーディー二が脱出できないように手錠をかけた者には誰でも25ポンド進呈するという広告が出されていた。その夜、もう少しで10時30分という頃にこの賭けに応じた人物がいた。きれいに髭を剃ったウィリアム・ホープ・ホジスンというハンサムな若者だった。ホジスンは舞台の上に鎖や南京錠がついた6組の重そうな鉄柳を持ちこんだ。その枷は、ある記者に言わせると「重さと恐ろしげな外観からしてスペインの無敵艦隊の船上にあった拷問器具も顔負け」の代物だった。
フーディー二はいつも用心深く、「きちんと機能する正常な手錠」ならどんなものでも脱出できると規定していた。このとき持ち込まれたものは、鍵がいじられ鍵穴がつぶされていた。それでフーディー二は、ホジスンの拘束具はフーディー二の賭けの条件から外れていると言った。だがホジスンは、フーディー二が自前の鉄枷を持ってくるように言ったではないかと反論した。その場の状況が相まって、フーディー二は大きな賭けを受けずにはいられなくなった。予期できない問題に対処するため、時間をくれるなら受けて立とうとフーディー二は答えた。地元の『アーガス』紙によると「この宣言は大歓声で迎えられ、そのあと彼を縛りつける作業が始まった」。
恐るべきはホジスンの鉄枷ではなく、むしろホジスン自身であった。英国国教会の牧師の息子である彼は小柄な身体を補強すべくボディビルと柔道を始め、その後『サンドーズ・マガジン』に寄稿し、「W・H・ホジスン体育学校」を開くほどの成功を収めていた。ブラックバーン警察の面々も彼の生徒だった。彼の伝記によれば、「イギリス中で最も力持ちの一人」であった。同時に極端に神経質なところがあり、手紙を開封したあとには必ず、郵便で送られたバイ菌を殺すために手を洗った。末の弟がカナダに行くことになって何か忠告はあるかと聞くと、公衆トイレの便座には決して座るなと答えたらしい。
筋肉の仕組みを熟知し、どの筋肉がどこを引っ張るかがわかっていたホジスンは、フーディー二をひねりあげて鎖で縛った。まずフーディー二の両方の上腕を背中に通した鎖で縛り、両肘がぴったり脇に押さえつけられるように鎖を引っ張った。もう一本の鎖でも同じように縛ると、背中の二本の鎖に南京錠をかけた。そうやってフーディー二の両腕を強く後ろに引っ張って固定した後、今度は反対に前方に引っ張る形で両手首に手錠をかけた。「舞台上でホジスンがあまりにきつくあちらこちらを引っ張るので、フーディー二が、この挑戦には自分の腕を折ることは含まれていなかったはずだ、と抗議したほどだった」と『アーガス』紙は報じている。フーディー二の手首に二つ目の手錠をはめた後、ホジスンはさらにフーディー二を脆かせ、重い足枷の鎖をフーディー二の腕を縛る鎖に通し、フーディー二の腕が背後で足首につくようにきつく縛った。こうして二足二腕のすべてを一つにくくられたフーディー二は、どうしようもなく無力なだけでなく、「ひどい苦痛を受け……縛り上げられた腕や手が青黒くなっていた」という目撃談もある。さんざんにひねられ縛り上げられたフーディー二は、引きずられて幽霊屋敷と呼ばれるキャビネットに入れられた。
15分後、キャビネットの力ーテンが開けられた。そこには手錠抜けのキングが、縛られたまま疲れ切って気を失いかけているように横たわっていた。フーディー二は立たせてくれるように頼み、ホジスンは応じた。
力ーテンが再び閉められた。その間、他にも何人か──弟のダッシュとブラッドレーという名の医者も、ホジスンに見張られながらフーディー二の様子を見に行った。さらに20分たってから、キャビネットの力ーテンが再び開けられ、フーディー二は医師のブラッドレーと話させてくれるように頼んだ。手が麻癖してしまったので、血流が戻るよう少しの間、鎖を緩めてくれるように頼んだ。それに対してホジスンは大声で抵抗し、「これは競技であって恋愛遊技ではない。負けたんだったら降参しろ」と言い放った。それを聞いて「大声があがり、興奮した叫び声もあがった。フーディー二を診た医師が、彼の腕が青くなっており、これ以上縛ったままにしておくのは残虐行為に等しいと言ったとき、再び観客席から叫び声があがった」と『アーガス』紙は報じている。ホジスンはそれでも拒み、ただし、コップ一杯の水をフーディー二に飲ませることは認めた。じれ始めた観客にもう少しの猶予を乞い、フーディー二はまたキャビネットの中に入った。
15分後、大歓声に迎えられて再び姿を現したフーディー二は、少なくとも両手から手錠を外していた。
1時間と40分後、フーディー二がとうとう最後に「幽霊屋敷」から出てきた時にはすでに真夜中を少し過ぎていた。
後に語ったところによると半死の状態で、あえぎながら登場した彼は舞台上に最後の枷を投げた。記者の一人は「観客は総立ちで、大喝采の嵐は高ぶりすぎた感情のはけ口のようだった」と書いている。(注3)手錠抜けの後で圧搾された腕にローションをつけて痛みを和らげることはよくあったし、ブラッドフォードでは左腕の小血管の破裂さえ経験した。だが、今回は腕全体が腫れ上がり、鉄枷が食い込んでいた部分には青黒いみみず腫れができ、脱出する時に肉が裂けた部分からは出血していた。ある記者によると、「まるで虎に爪で襲われたように見えた」。医師は、あと数分圧搾されたままでいたら彼の腕は一生麻痒したままになったろうと述べた。
だが肉体派のホジスンは、痛めつけられたフーディー二の姿にも何の感銘も受けなかった。二日後に『ブラックバーンスター」紙にインタビューされた彼は、いじった手錠など使っていないし、フーディー二を手荒く扱ったり、ましてや腕を麻痒させたりなどしていないと答えた。さらに枷がフーディー二を圧迫しないか確かめるため内側に指を一本入れてみたし、人間の身体構造については熟知しているから上腕動脈を圧迫しないようにしたと主張した。ホジスンは舞台上にダッシュとベスがいたのは怪しいと言い、フーディー二にかけた手錠を見せた。枷の一つは切り取られており、他にヤスリの痕のようなものがついた枷も見せた。この痕は、フーディー二が何か道具を持っていて、それを用いた証拠だとした。同紙はホジスン側につき、フーディー二にかけた残り四つの枷は返してもらえなかったと付け足している。
他人の助けを借りて枷を切って脱出したと言われて、フーディー二が黙っているはずはなかった。おそらくそれが事実であった以上、余計に黙っていられなかった。ホジスンのインタビュー記事が出た頃にはブラックバーンから立ち去っていたが、ホジスンの「惨めな大嘘」をあばき、「怖じ気づいて戻ってこれない」と言ったホジスンの支援者たちの鼻を明かすためだけに、フーディー二は戻ってきた。フーディー二は同じパレス劇場のフットライトを浴びながら、彼を陥れるためにホジスンはわざと後で手錠に切り目を入れたのだと非難した。
フーディー二は規則正しく巡業したので、ブラックバーンにまた戻ったが、決して心嬉しい場所にはならなかった。「ぞっとする」巡業地であり、客たちも「これまで巡業したなちず者の街」のどこよりもひどかった。ホジスン一派もフーディー二を嫌い続け、執念深く彼との因縁を忘れずにいた。ある挑戦者は、舞台に持ち込んだ手錠をフーディー二が前もって検査することを拒絶した。フーディー二はそれをつかんで軽蔑しきった様子でその手錠をかけた。「そのとき浴びせられたブーイングときたら、すごいものだった」と後に日記に記している。キャビネットに入って手錠を外そうとしたら、手錠の鍵がさんざんいじられてバカになっており、開くのにたっぷり10分かかった。やっとキャビネットから出てくると、観客の反応に傑然とした。「彼らは喝采するどころか、もう一度ブーイングの嵐だった」とフーディー二は信じられないと言う口調で記している。カッとなったフーディー二はフットライトの近くの柱に手錠をかけ、挑戦者はそれを外すのに20分かかり、さらに不評をかった。
フーディー二はひそかに「ぞっとするホジスンの夜」と呼んではいたが、芸人としての彼の誇りは不屈の男として登場することにかかっており、公にはあの試練を「最大の征服」だったと主張していた。
いかがでしょうか。やはりちょっとホジスンはやりすぎだったかもしれません。ホジスンもまだ二十歳そこそこで、血気盛んだったから、生意気なイカサマ野郎をとっちめてやろうといったところだったんでしょうが、奇術なんだから、そこまでムキにならなくてもね・・・と今なら思うのですが、その当時はフーディニも自分があたかも超能力者のように振舞っていたし、後に怪奇小説を書くことになるホジスンは、そのくせにかなりの科学の信奉者だったので、こうした衝突もそれほど不思議な事ではなかったかもしれません。それよりもむしろ、フーディニが後に、ホジスンが書いたカーナッキさながらに、心霊主義者のインチキを暴いてゆく「幽霊狩人」になっていったというのは、面白いことです。二人はともに肉体派ではありましたが、内面に矛盾も抱えていました。あるいは似たもの同士であったからこそ、ぶつかり合ったのかもしれません。 |